6年勤めた独立系メーカーを退職しました

はじめに

タイトルの通り、人生の1つの転換期を迎えた記録です。
2014年7月に入社して以来6年在籍した独立系メーカーを退職しました。
特に、当時入社するにあたり声をかけてくれた上司には前々職から公私ともにお世話になっており感謝の念に堪えません。
2020年8月からSansan株式会社でお世話になります。

どんなことをやってきたか

主に情報システム部に所属し、コーポレートエンジニアとして自社の業務システムの新規開発/改修/運用/リプレイスをしてきました。プロダクトの管理システム開発、兼務で自社製品のセールスエンジニア(?)っぽい事などなど。主務兼務といろいろな経験をしましたが、およそ8割は社内向けの業務システム開発に携わっていた格好です。
社内システムに関しては製品導入ではなくスクラッチ開発をするチームに居たため、DDDの実践やクリーンアーキテクチャの採用、技術選定においてもチームでかなりの裁量を持たせて頂いており、挑戦しやすい環境で楽しく仕事をさせて貰いました。
直近のプロジェクトではスクラム開発の実践を提案して、当時全員がスクラム未経験の状況ながら進められたのはチーム全員の賛同と協力があってこそでした。見直す余地は山ほどありますが、実務におけるスクラムの知見を得られて大変勉強になりました。

バックオフィス部門に在籍する身としては比較的珍しくアメリカやデンマークといった海外への出張の機会を頂き海外カンファレンスへ参加も経験しました。
リスニングはギリギリ致命傷、トークは無事死亡といった現実に向き合う事になり、細々ながら継続的に英語勉強に取り組むきっかけになりました。英語はまだまだ標準以下レベルですが引き続き頑張っていきたいところです。
海外出張はいろいろネタがあるのですがここでは割愛するとして、酒の肴にできればと思います。

なんでやめるのか

いろいろありますがざっとは以下のようなところの心境の変化です。

  • 幅広いユーザに向けたサービスに関わりたくなった
  • お金を稼ぐプロダクトの立ち上げやグロースに挑戦したくなった
  • プロダクトアウトなものづくりがしたくなった
  • クラウドインフラの活用とSaaSビジネスに対する興味が増した

コーポレートエンジニアとして自社システムを拡充していくのは社内の利用者にとって、価値ある事だと思います。ユーザも近い距離におり、かなりの確度(たまにズレる)でニーズのあるものづくりをしていくことの楽しさがあります。一方で要件がかなり特定の業務ドメインに特化していること、与えるインパクト範囲はごく限られたものであるのも間違いないかと思います。
また、古くから存在する業務システムを抱える宿命かもしれませんがクラウドとは無縁の世界でした。世の中的にはクラウドからオンプレ回帰の流れもあるようだけどクラウドを経験せずにこの流れにはついていけない。5年10年経ったらクラウドとかSaaSとかサブスクとか廃れてるかもしれない。そんな危機感も大きな要因でした。

コロナ禍の転職活動

偶然ですがタイミング的にはガッツリ影響を受けました。
2019年12月頃から本格的に動き出し、2-3月が複数の会社で面接のピークでした。
緊急事態宣言前後も面接の機会を頂いていることがあり、日々こんなに外部要因で翻弄される転職もないだろうなと思いつつ動いていたのが印象的でした。たぶん一生忘れない経験でしょう。
とはいえ、幸いにもこの業界的はオンラインは適性/親和性があると思っており、働き方も含めて柔軟な会社が多かったため求職者目線では大きな苦労はありませんでした。
もちろん採用側目線では多大な苦労をされていたはずで、この状況下で採用に動いて頂いた方々には頭が下がる思いです。この場を借りてお礼申し上げます。

今後は

引き続きサーバサイドエンジニアとしてはたらく予定です。
引き続きと言いつつ、もはや何屋なのか解らなくなることも多いのですが…意識して苦手意識を持たないように取り組んでいきたいと考えています。とくにAWSGCP等のクラウドインフラは実務未経験なので前のめりに吸収していく所存です。


最後に、おやくそくのリストです
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